syrup16gはシロップジュウロクグラムと読む。 | *はなうたまじりに考えた

syrup16gはシロップジュウロクグラムと読む。

こんな説明もういらなくなりましたね。

あたしが『COPY』(2nd Album/2001年10月)発売の1~2ヶ月ほど前にタワレコで『Free Throw』を手にした頃は全然名前が知られてなくって、あたし自身もスカパーで「負け犬」のPV見てなかったらわかんなかったかも知んないな。
だけど、タワレコ行って何買おうと思った時に、[バンド名だけ覚えてた"確か良さげ"なバンド]程度で『Free Throw』を買ったのを覚えてる。¥1000だったし。

家帰って聴いて、繰り返し聴いて、syrup16gは自分が聴かなきゃいけない音楽だと思った。録音状態もあんまり良くないしボーカルが音に埋もれて聞き取りにくいんだけど、すなわち歌詞のメッセージ性(?)もあやふやなままなのかもなんだけど、でもそれ以上に確信を持った曖昧さをはらんだバンド。『COPY』を聴いた時には見失いようも無いくらいシロップジュウロクグラムというバンドが好きになってた。「生活」は衝撃以外のなんでもなかったもの。音楽にそんなこと言われると思ってなかった。
そして、『delayedead』が発売された今でも、『Free Throw』は位置を無くしていない。

アルバム一枚一枚語りたいけど今は書かない。一番好きなアルバムは『Coup d'Etat』

ライブも札幌来るたび行ってるけど、東京とか仙台まで遠征してる友人には勝てない。たぶん、シロップへの愛は彼女の方が一等級だと思うわ。
あたしのシロップへの愛は、シロップがsyrup16gでいてその音が鳴るのであれば、それ以上がなくとも変わらないと思う。距離は一定で良い。近づこうとか思わないし、一歩も退かないし。
(と、今は思ってる。)

五十嵐氏の描く歌詞の世界観は凄い。そして音の流れ。ギターの音もベースの音も、ドラムの音も、どれが欠けてもsyrup16gにはなり得ない。
ネガティブさから突き放つ、その否定とも肯定とも至れない精神の反発や攻撃性。傷つき傷つけられながらも、それに反発しつつ受け入れざるを得ない心理。全否定で無駄だって叫んでたって、結局自分という物理的存在までは捨てられない。じゃぁ何をどこまで受け入れたらいいのか。誰かが、人間嫌いの寂しがりやって言ったけど、言い得て妙で笑える。意味とか理由とか価値観とかいらないんだけど、それを求めてたりもする。
自己矛盾。それを否定しない。人間ってそんなもんだって思うよ。